僭越ながら最初は私個人の話になります。
私は人から「優しいね!」「気が利くね!」「女の子みたい(!?)」と言われることが多いです。
男女問わず言われます。
特に飲み会の時にこれが顕著に表れます。
料理を取り分け、酒を注文し、空いてる皿をまとめる。
私は一般的に「飲み会とかで女性が担当しがち」な仕事も率先して行います。
で、なんでそういう仕事を(男なのに)率先してやるのかというと、単純に回りの変化に敏感だからです。
それ以上でもそれ以下でもありません。
気がついたからやってる。近かったからやってる。ただそれだけです。
今思えば、私の父親がそういう考えだったんですよね。
秋田出身かつ田舎の人間だったので、亭主関白なところも多かったですが、ちゃんと母親のことを尊敬し、出かけるときは送り迎えをやり、母親が疲れているときはかなり気を使ってました。
何回か「父親に不満ないの?」「喧嘩とかしないの?」
と母親に聞いたことがあります。その時の回答はいつも
「なんか不満があってもお母さんが我慢してるのよ~(笑)」
でした。
たぶんこの「我慢できている部分」は父親が母親を尊敬し、気を使っているからなんでしょうね。
そうじゃないなら絶対キレてると思います。
私の他人に気を使う思考は父親の教育の賜物ですね。まさに子は親の背中を見て育つです。
父親の教育には感謝してます。(夜中の3時まで泣きながら英語の勉強させられた恨みは忘れないけどな!)
だってそれって意味なくね?
話を戻しますが、飲み会でのサラダの取り分けとか、グラスをまとめるとかいう仕事(作業?)を女性がすべきだという考えがあるのかが疑問です。
別に私はジェンダー論者でもなんでもないですが、飲み会での料理の取り分けとか、酒の注文とかアレじゃないですか。
誰がやっても変わらないじゃないですか。
「いや違うんだよ!女性が料理を取り分けてくれるとそれがスパイスになって何倍もおいしくなるんだ!」って意見があるなら別ですが、誰がやっても変わらない仕事を「女性がすべきだ」「やってくれる人は優しい」って考えになるのがちょっと良く分かりません。
近い人がやればいいじゃん。
気付いた人がやればいいじゃん。
だって誰がやっても変わらないんだから!
そこでやった人に対して「○○は優しいね」「○○は気がきくね!」って言うのはちょっと違うんじゃないかな。
それって結局「自分は気の利かない人間です」って宣言してるのと同じじゃん。
それってなんか、ダサいよね。
女が家庭に入り男が仕事をする時代は終わったんだ
いつ時代も「女は男に尽くすべきだ!」って考え持ってる奴は存在します。
年収400万さえ届かない男性が大多数の今の時代にその考えがいまだに残ってることに驚きを感じます。
未だに雑誌とかで「飲み会で好きな人を落とすモテテクニック(はぁと)」で「料理を取り分けよう!」とか「空いてるグラスを見つけたら下げよう!」っていう特集がまだ取り上げられるんでしょ?
私の考えで言うと料理を取り分けてもらったからと言って、その人に対して「気が利くな」とも思わないし「優しいな」とも思いません。
せいぜい「ありがとう」っていう感謝の気持ちくらい。
だってそれらの作業なんて誰がやっても結果は同じだし、気が付いた人&近い人がやればいじゃん。
って思ってるので、女性が居る飲み会でサラダとか取り分け始めると
「優しいね!」「気が利くね!」「女の子みたい(!?)」
と言われます。なんだよ女の子みたいって。
今の時代に求められるのは「男性の変化」
過去にもまとめましたが、男が「家庭的な仕事は女性がすべきだ」っていう思考を持つことに対しては何の反論も持ちません。
だって昔はそうだったから。
過去、男は狩猟に行き女は家を守ってました。
その時の女に求められたことは周りの変化に気が付く力。人間は自分と違うものに対して警戒をする生き物です。
女性は自分を守るために、他の人達と同調する力を最優先で身に着けました。
一方男は力のみを最優先で身に着けました。
時代は変わり、女性の社会進出。経済低迷。非正規雇用の増加。
男性が女性を完璧に養うという形が取りづらい世の中になりつつあります。
そんな中、

って考えの男性が多い事に驚きです。
男女平等を謳うくせに女性の方が優遇されてる!と文句言う前に、というか文句を言っても変わらないんだから自分自身を見つめなおしてもいいんじゃないかなと思います。
胸を張って「男はこんなに歩み寄ってます」って言えるようになってから、女性に文句あるなら言えばいいんじゃないかな。
他人の悪いところ治すよりも、自分の悪いところ治したほうが早いよ。たぶん。
まとめ


